今回の行先は、みなとやま水族館です。
(記事:ボランティア 甲南女子大学2回生 檜垣)
主に大学生、専門学校に通う学生が運営しています。
今回のイベントでは、ドクターフィッシュに触れたり、小さな魚の写真を撮影するなど班毎に分かれて水族館を楽しみました。
水族館に到着したものの、入園制限がかけられており、入園チケットの購入ができないトラブルもありましたが、参加者への声掛けや保護者の方への連絡を迅速に対応する姿が見られました。
また、当日は気温が非常に高く、参加者の体調管理も心配されましたが、なるべく日陰を通り目的地まで進んだり、併設しているカフェでアイスクリームを食べるなどの対策をして1日を乗り切りました。
このようなイベントを月に一度開いているそうです。イベントを開くにあたり、班分けをすることが多いそうですが、参加者とでぃんぷるスタッフの相性は非常に重要であるそうです。今回も、4,5人の集団で動く班もあれば、でぃんぷるのスタッフと参加者の1:1で行動している班もありました。
でぃんぷる代表の方にお話を伺いました。
ー活動に対するやりがいはなんですか?
参加者の保護者の方からも嬉しいお言葉をいただくことが多いそうですが、ボランティアグループと参加者の信頼関係があるからこそであると感じました。
ー苦戦していることは何ですか?
また、更なる理解を深めたいと思う方には、是非でぃんぷるの活動に参加してほしいと思います。
こちらでは、様々な原因で学校の授業から取り残されてしまった子供たちに毎週月曜日、
水曜日、金曜日の週三回、無料で学習塾を開講しています。
(記事:インターン生 関西学院大学1回生 畑 杏奈)
]]> この日も、15名程度の生徒に対して、ボランティアの大学生が勉強を教えていました。16時15分から勉強を始め、17時45分まで、生徒さん一人か二人に対して、大学生の方一人
ついて教えていて、生徒さんもすごく集中されていました。
全体の様子を見た後、理事長である宮崎(右上の部首は立)さんとお話する時間を頂きました。
対話の中で、宮崎さんは「どんな子供にも勉強したい、と言う気持ちはある。」とおっしゃっており、実際、勉強している子供たちは、非常に意欲的で、わからないことを自分から積極的に聞く姿をよく目にしました。
改めて、学びたい気持ちはあるけれど、学校や塾などでは上手く学ぶことができなかった子供たちにとって、この場所は、学ぶことのできる第三の居場所なのだと、感じさせられました。
しかし、経営基盤が整っていないことによる資金面の確保が難しいことなど、これから先解決していかなければならない課題についても真剣に悩まれていて、話を聞く中で、先を見据えた考え方に驚かされました。
さらに宮崎さんは、教員一人を雇う年収で、エデュケアのような学習支援塾を一年間、運営することができる。今後、活動を長く続けるために事業化することが目標だとおっしゃっていました。今回取材に行った長田区では、工業高校に進学する子が多く、阪神地域では工業が盛んなことからも、子供たちと企業間の関係を深めて、工業系の企業から支援を頂き、より安定して学習支援塾を開講したい、とも考えておられるようでした。
また、途中で少しではありますが、生徒さんに勉強を教える機会を頂きました。伝わるように教える、ということの難しさ、なにより、大学生のボランティアの皆さんだからこそできる生徒さんとの関わり方があるのだと感銘を受けました。
大学生のボランティアの方にも、話を聞く機会があったのですが、「中学生の子供たちが、わからなかったことをわかるようになるのが嬉しい。」と、活動にやりがいを感じているようでした。
今後、より多くの方が教える側、学ぶ側として学習支援塾に参加することを期待したいです。
(記事:インターン生 関西学院大学1回生 畑 杏奈)
学習支援塾「エデュケア」・自主夜間中学「エデュケアスクール」HP
今年度助成している、NPO法人フェミニストカウンセリング神戸さんの講座「子どもと関わる大人のためのトラウマインフォームドケア講座」を拝聴しました。
自分のペースで勉強できるだけでなく、動画コメント欄で質問ができたり、受講生対象のフォローアップ&交流会を企画されたりしていて、しっかり学びたい方たちは嬉しいだろうなと思います。
動画を拝聴し、トラウマを経験している人の割合が想像以上に多く、身近な問題として考えなければならないと思いました。
「困った子ども」と感じてしまいがちな行動は、トラウマ体験に根ざしている可能性が考えられるため、この講座により、子どもの行動だけに目を向けるのではなく、その子が困っている根本を共有しようとする人が増えると良いなと感じました。
今回は、「学童で子供と接する中で感じる事があり」受講された企業内託児室で保育士として勤務されている方や、大学院一年めで「認心理師と臨床心理士資格を取得してスクールカウンセラーになるべく勉強中」の方等、約101名の方が講座を受講されているようです(8/9時点)。子どもの視点に立ちトラウマ部分を支えていける一時保育者が増え、女性の視点で主に女性を援助してきたフェミニストカウンセリング神戸と協働していかれることで、母親女性たちがより安心して一時保育を利用できるようになることを期待します。
]]>
]]> 午前中は近畿各県から参加した小中学生を含む団体11団体を、6団体と5団体にわけ
2会場で発表が行われました。
午後からは活動発表をした参加者たちとの交流会(ワークショップ)があり、子どものころの水辺での活動を通じて育成されたリーダーが司会をしていました。
「人が自然からもらっているものって何だろう?」というテーマで、参加の子供たちから意見を募りました。たくさんの子供たちが積極的に手を挙げて答えていました。
太陽光・地熱・風力・バイオマスなどの発電に関するもの、水・野菜・果物・肉・はちみつなどの食べ物に関するもの、土・風・森などの環境に関するものが挙げられました。
続いて、「人から自然にやっていること、できることって何だろう?」というテーマで意見を募りました。
二酸化炭素の増加・サンゴの白化現象・潮・森林伐採による生き物の生息地の減少などの環境破壊に関する問題ついての意見に対して、CO2削減・ゴミ拾い・リサイクル・食品ロスを減らすこと・SDGsに沿った活動など自然に対して良くしていこうという活動も挙がりました。
日頃から清掃活動や環境保全活動をしている皆さんだからこそ、どちらも活発な意見が出てホワイトボードが埋まる程たくさんの意見が出たと思いますし、他の人の意見を聞くことで新たな気づきもあるだろうと思います。
子どもたちの楽しそうな顔が印象的でした。
10時45分から片づけを含め60分間の時間制限内で子どもたちが考えたレシピの調理がスタートです。今回のテーマは「お子様ランチ」。子どもと保護者と担当講師との3名が1チームとなり総勢10チーム。同じ料理を3皿作り、撮影用の皿、審査員が試食し審査する皿、他の参加者に見せる皿とします。何度も練習したであろうレシピを親子で一生懸命調理していました。
調理時間が終わると次は、子どもたちが自身の力作を審査員にプレゼンテーションする時間です。なぜこのレシピを考案したのかなどを、低学年は保護者と一緒に、高学年になると一人でしっかりと発表していました。
お昼になり、審査員は別室で試食し、味や見栄え、全体のバランスなどに加え、目的に沿ったレシピとなっているか、親子で協力して調理できていたか、独創的か、などの項目で採点を行います。
午後からは審査結果の発表です。結果は順位をつけるのではなく、審査員賞や特別賞、グランプリなど5つの賞に低学年・高学年からそれぞれ1名ずつ選ばれました。さらに1レシピのみ、レシピ開発賞として和風レストランながさわ道の駅三木店で実際のメニューとして1か月間提供されるそうです。参加した子供たちは皆、プロのシェフの前で調理し、プレゼンテーションするという貴重な経験から、達成感と自信を得ることができたようだと代表の西原さんは言われていました。
(一社)神戸親子遊び推進協会は、子どもと食に関わるさまざまな事業を実施されていますが、メインの活動は、子ども料理教室の講師育成と育成された講師が実施する62か所の料理教室とのネットワークによる活動です。子どもは料理に興味を持っている場合だけでなく、偏食をなくすためなどの理由で教室に来るそうです。その子どもたちを通じ、自宅のキッチンが親子のコミュニケーションの場となり親子の関係性が深まることを目指し活動されています。
今回のコンテストは5回目の開催となりますが、西原さんは、コンテスト応募者の9割は教室の生徒で、広く一般からの参加が少ないことが課題だと言われていました。今後より一般参加を増やし、公共的な活動として広がっていくことを期待したいと思います。
高橋さんは、元ひょうごボランタリープラザ所長として、被災地にボランティアを派遣するだけでなく、自らも現地に赴いて被災者支援を実践してこられました。
2022年4月に全国災害ボランティア支援機構を立ち上げ、民間の立場で被災者支援活動を行われています。
・1月16日、東日本大震災で被災した宮城県名取市閖上地区の住民10人を招待し、2泊3日の行程で、兵庫県各地の追悼式への参加、阪神・淡路大震災の被災者やボランティアとの交流、阪神・淡路大震災の遺構の見学などが行われました。
1月17日 東日本大震災の被災者10人は、東遊園地の追悼式に参加し、午前5時46分の震災発生時刻に黙とうし、竹灯籠の前で祈りを捧げました。
続いて、12時からはHAT神戸での「1.17のつどい」に参列しました。
また、14時46分からは三木氏志染町広野の市民団体が主催する追悼式にも参加し、鎮魂の火を灯した竹灯篭を囲んで、1.17と3.11の二つの大震災の犠牲者を追悼しました。
今回招待した東日本大震災の被災者からは、阪神・淡路大震災から28年が経過するのに、5時46分の追悼式にたくさんの人訪れていることへの驚き、東北での活動も継続していかなければならないという決意、今後も兵庫県を訪れて交流を続けていきたいという感想があがってきたそうです。
(ぼうさいこくたいでの取り組み)
2022年10月22日、23日にHAT神戸で行われた「ぼうさいこくたい」に同機構として出展し、「移動式災害ボランティアセンター号」や「自動排泄処理装置」を展示するとともに、同機構の活動内容や災害ボランティアについてのパネル展示を行われたそうです。
「移動型災害ボランティア号」はキャンピングカーを改造したもので、災地における発災直後のボランティアセンター設置支援等を行う車両です。
「自動排泄処理装置」は避難所や在宅避難者の寝たきりの要援護者の大小便を自動的に処理する器具です。
高橋さんは、「支援する人を支援する社会の醸成」を目指して、災害ボランティアの支援にも取り組まれており、今後は若いボランティアを育成するとともに、思いを引き継いでくれる若い人への活動の継承を考えているそうです。
本連続セミナーは以下のような構成で行われています
第1回目8月7日(日)から6回目1月12日(木)
精神障害者の家族のための介入プログラム
第7回目2月9日(木)当事者の権利擁護
第8回目3月5日(土)学校での精神保健福祉教育
精神疾患は昔、不治の病と言われていましたが、治療薬の開発により部分的な回復が可能になっており、現在は入院治療主体ではなく、地域で如何に生活するかに変わってきています。地域での生活のために、精神障害者との接し方(精神療法)が大きな重要技術となり、家族、支援者がそれを学ぶことが大切です。そこに、このメンタルヘルスセミナーの意味、目的があります。1回?6回では「認知行動療法」が取り上げられ、40名を超える参加者が集いました。
この日のセミナーは、8回に亘る連続セミナーの第7回目にあたります。今回は「当事者の権利擁護」について、大阪精神医療人権センターの有我譲慶氏による熱のこもった講演が行われました。有我氏は看護師として、精神医療の現場で働くうちに、患者の自由を奪い基本的人権すら制限される現実に驚くとともに違和感を覚え、精神障害者の権利を擁護する活動を始めました。強制入院に頼らず、隔離・身体拘束をしないで地域精神保健医療にシフトしたイタリア・トリエステでの実践現場を視察し、まさに目からうろこが落ちたと思ったそうです。
講演では、OECD諸国との比較における日本の精神医療の現状について様々な統計が示されました。以下、その中から印象に残った数値について記します。
OECD38か国の総精神科病床数の37%が日本に存在しています。諸外国では精神科の病棟は国の管轄であるため、地域精神保健医療にシフトしやすいのです。ところが、日本の病院行政は民間任せのため、経営のために入院患者数を確保しておく傾向が強く、しかも一人の医師による診断のみで入院措置が決められてしまいます。
人口1000人あたりの精神科病床数はOECD平均が0.6床のところ、日本は2.6床(2018‐2021)と、病床数の割合も大きいことがわかります。また、平均在院日数もOECDが31.2日のところ、日本は277日という数字が示されており、日本における人口あたりの強制入院者数は、ヨーロッパ平均の約14倍という数値です。
また、日本の精神医療現場で行われている隔離・身体拘束が増加傾向にあることも懸念されます。このような中、近年複数の精神病院での虐待事件が発覚しています。コロナ禍におけるクラスター発生も深刻です。よく言われることですが、パンデミックで最も大きな被害を受けるのは社会的弱者です。この度のコロナ禍であぶりだされたのは日本の精神保健医療の根本的構造的な問題ではないでしょうか。
精神障害者の精神病院への収容主義こそが問題なのです。病床を計画的に削減し、退院を促進するとともに医療人員を地域医療の担い手とし、人間の尊厳を軸とした地域精神保健に転換すべきと考えます。
このような状況の中、2022年9月9日、国連障害者権利委員会から日本政府に対して勧告が(総括所見)出されました。
障害者権利委員会から日本政府へ勧告(総括所見)が出されました! ?90項目以上改善するよう勧告されています | DPI 日本会議
(dpi-japan.org)
なお、講演の冒頭で紹介された「精神疾患とは?」の問いに、とても印象深い引用があったので以下に記します。
だれも病人でありうる、たまたま何かの恵みによっていまは病気でないのだ。医者が治せる患者は少ない。しかし看護できない患者はいない。安定した看護、治療、相談は「守秘義務をもった他人」だけができる。―中居久夫「看護のための精神医学」
統合失調症とは、過酷な現実から事項を守ろうとする決死の努力 ―R.D.レイン「引き裂かれた自己:狂気の現象学」
【精神疾患の特徴・予防・回復】を解説した高校の保健体育の教科書発刊
(公社)兵庫県精神福祉家族連合会は国に対して、長年、精神疾患についての教育を学校で始めて欲しいと訴え、メンタルヘルスセミナー等でも啓発活動を続けていました。そして令和4年度、ついに高校の教科書に【精神疾患】についての詳しい説明が記載されました。なお、これは第8回の講座で取り上げられるテーマです。
事務所の古民家は慎ましやかなたたずまいで幹線道路沿いに建っていました。
一歩中へ入ると、バオバブの苗木や実、鮮やかなアフリカ布などが並び、玄関から続く三和土と土壁によく馴染んでいます。
Bokk Jambaarとはセネガルの言葉で「頑張る仲間たち」という意味で、青年海外協力隊でアフリカ大陸最西端のセネガルに派遣された元隊員が中心になって設立、活動している団体です。セネガルの人々の生き方に共鳴し、セネガルのよさを日本に紹介しながら地域のくつろげる居場所になればと考えていたところ、神戸市のすまいるネットを通じて理解ある大家さんに出会い、ここ平野(ひらの)地域に事務所を構えました。
この日は予約なしで、いつ来てもいつ帰ってもいい月1回のオープンDAY。メニューはアフリカの絵本の読み聞かせとセネガルの子育て事情の紹介です。
赤ちゃんを連れたママさんに、アフリカ布の端切れで小物づくりをしませんかと声をかけます。赤ちゃんには絵本を読んで聞かせます。また、すっかり顔なじみになったご婦人は豊かな人生経験からおしゃべりが尽きません。
団体が扱うバオバブパウダーで作ったジュースでちょっと休憩。ビタミンCたっぷりで甘ずっぱい味がしました。
頃合いを見て子育てのお話。セネガルでは「子どもは社会のもの」という考えがあり、みんなで育てるのが当たり前の『子育て天国』です。母親ひとりが過大な責任を負わされてストレスになっている日本とは対照的です。ひと昔前までは隣近所で助け合っていた時代が日本にもあったのですが...。
セネガルと日本。つながりがあるの?と思いますが、「あなたはそこにいるだけでいい」というセネガルの精神で今の日本を元気にしたい、というのが出発点です。
肩の力を抜いてゆっくり過ごしながら、遠く離れた国の暮らしや考え方を知ることと地域の居場所づくりとが合わさった先に、新たな異文化交流の生まれる可能性を感じながら事務所を後にしました。
一方で志願者の中には経済的困難を抱える子どもも多くいて、進学の希望をかなえるには選考基準の見直しや採用人数の増員など、課題も見えてきました。財源の確保も重要です。
団体の事務を担う神戸定住外国人支援センターの志岐良子さんのお話によると、外国にルーツを持つ子どもの高校進学率は以前よりは高くなってきましたが、兵庫県全体の数値と比べるとまだ下回っています。また現在は中途退学者の多さも問題になっています。退学の理由は複雑で、生徒それぞれで違います。
そのため奨学生にはきめ細かいフォローアップが欠かせません。個人面談と作文指導を年3回、各学期に1回ずつ行います。面談では生活の様子や学習成績、悩みなどを聞いて、高校生活が続けられるようにサポートします。作文は前もって与えられたテーマから選んで書いてきたものを、ボランティアの先生とマンツーマンで話し合いながら内容を深めていきます。選考試験時に表明した「なりたい自分」へのモチベーションを維持できるように、本人と団体が二人三脚で取り組んでいる姿が垣間見えました。
コロナ感染拡大の影響を受けて、財源の一つであるチャリティーコンサートが2年間できませんでした。今年は12月18日(日)長田区のピフレホールで『カンタービレ・コンサート』を開催します。バイオリンの演奏でクラシックからジブリ、演歌まで楽しめます。収益は全額奨学金に充てられます。みなさんもぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。
この催しはギャンブル依存症問題に巻き込まれた家族や当事者への支援について、さまざまな立場の人とともに考えるもので、兵庫県や県内の複数の市の担当者、弁護士、司法書士、当事者、家族など会場に120人、Zoomで50人が集まり、Zoomでは関東からの参加もありました。
内容は精神科医で自助グループとのつなぎ役も積極的に担っている昭和大学付属烏山病院の常岡俊昭医師と、自身もギャンブル依存症の家族であり当事者でもあった「(公社)ギャンブル依存症問題を考える会」の田中紀子代表がそれぞれ講演し、休憩をはさんで参加者との質疑応答を行いました。
スタッフがてきぱきと来場者を案内したり、あちこちで挨拶が交わされるなど、会場は明るい雰囲気で、また講演はテンポよく時に会場から笑いもおこりわかりやすい内容でした。切羽詰まった重苦しい会では?という事前の想像はいい意味で見事に裏切られました。ちなみにスタッフはかつて依存症の当事者であったりまたはその家族の方々です。
会の代表の奥田久美子さんと桑原弥生子さんにお話をうかがいました。
まずいちばん知ってもらいたいのは、ギャンブル依存症は病気だということ。治療に繋がる事で回復することができます。でも医療には苦手な部分もあって、それは人が支えになって回復する部分があるということ。人には依存していい。人を杖にして自立できるようにする。だからできるだけ多くの関係機関・団体とつながって連携しながら回復を目ざすのが重要であり、自助グループや家族会が大きな役目を果たします。同じ経験をしている仲間と出会うことでひとりではないという安心感と勇気をもらえるのです。行政や警察、弁護士、司法書士、消費生活センターなども問題解決の支援者として欠かせませんが、知識や熱意に差があり家族会とつながろうとしないところも少なくないのが現状です。
家族の会では、いつでもどこでもつながれるように地域連携を築くことを目指しています。当事者も家族も回復できるようなネットワークを作りたいと活動を続けています。
人は生きづらさの埋め合わせに何かに依存するので、ギャンブルはその1つに過ぎません。誰にでも依存症になる可能性があります。現在は情報の量、スピードとともに手軽さもあって、ギャンブルも若いうちから依存症になる人が多くなってきました。他人事ではなく、正しい理解の必要性と連携構築の緊急性に気づかされた意見交換会でした。
救援隊と被災地に学ぶ会の皆さんは同年の12月から月一回の頻度で現地に赴き土砂の撤去や掃除だけでなく、たこ焼きづくりや足湯とハンドマッサージをしながら現地の人とお話をすることで交流を深めていきました。しかし、新型コロナウイルスによってこのような活動を行うことが困難になりました。3か月間活動が停止してしまいましたが、2020年6月から活動をオンラインに切り替え被災者の皆さんとの交流を続けました。実施した理由は被災者の皆さんから「忘れられているのではないか」との不安を伺ったからだそうです。
2021年は9月から数か月間準備したのち、同年12月にようやく現地に赴くことができました。2日間の活動の中で地元住人の方の家でサロン会開催し、集会場でクリスマスオーナメントづくりを行ったそうです。地元住人の方のお話には現在の町の雰囲気や当時の被害の状況そして今後同様の災害が発生したとき被害が大きくならないための対策を伺ったそうです。
救援隊の皆さんが現地に行って感じたことは思ったよりも復興が進んでいないこと、仮設住宅生活が長期化していること、コミュニティが弱体化していることでした。このことからこれからの活動は神戸からそして現地で活動を続け、人と会話する機会づくりを行いたいと話していました。報告会から継続的なボランティア活動は地元住民の心の支えになっていることが分かりました。
17日には被災地に学ぶ会代表の藤室玲治さんにお話を伺いました。先日の報告会から疑問に思ったこと、興味を持ったことを質問させていただきました。
まず、被災地に学ぶ会設立の理由を伺いました。藤室さんは以前より大学生のボランティアコーディネーターの活動をされていました。学生に被災地のことを知ってもらいたいという思いが大きくなり被災地に学ぶ会を設立されたそうです。そのため藤室さんの団体の活動は学生の方と行うことが多いです。団体の目的には被災地支援だけでなく人材育成があります。被災地支援と人材育成にはどのような関係があるのでしょうか。藤室さんは学生に現地の人とのコミュニケーション、特に「聴く」ということを大切にするように伝えているそうです。聴くことから被災者のニーズを知ることができ、支援の押し付けを避けることができます。そして被災地支援を通してその先のことにも学生自身興味を持たれるそうです。このことが人材育成に関係しているのではないでしょうか。自ら進んで学び、知識にし、そこからまた現地の人との交流を行う。このサイクルが続いていくことで一人の人間として成長できるのではないでしょうか。藤室さんは今後の学生に他大学との交流を期待されていました。他大学との交流もまた様々な知識を吸収できる貴重な場であると考えます。目の前のことだけでなく先のことにも興味を持つことは被災地にとっても学生にとっても重要ではないでしょうか。
次に現在の丸森町はどのような状況なのか伺うと災害発生から丸二年経過していますが依然として崩れた河川や岩、集落も崩れた家は撤去されましたがそのままだということでした。復興住宅の建設も遅れ、仮設住宅も一部解消しましたがまだ残っています。仮設住宅は狭く新型コロナウイルスの影響で人との交流も減っておりストレスが溜まっておられる方もおられるということでした。今後もオンラインで現地の方と交流を続け、感染状況が落ち着けば現地に直接伺い活動したいとおっしゃっていました。
被災地への継続的な支援の重要性はオンライン報告会で知ることができましたが、被災地が被災地でなくなる時はいつなのでしょうか。藤室さんに伺うとそれは人それぞれであるとおっしゃられました。生活再建ができて災害の影響を感じない人にとっては被災地ではなく、まだ災害の影を感じている人にとっては被災地であるように現地の人たちの間には意識のギャップがあります。支援を必要としている人に対して活動を行うことが自分たちの活動だとおっしゃられていました。しかし、それは簡単ではないそうです。理由は、どのような支援が必要か調査しなければならないのですが、現地の人からお話を伺うことは何回も通わないとできないからです。このことからも継続的な支援の大切さを感じます。
今後日本でボランティア活動は根付いていくでしょうか。藤室さんは現在若い人の災害ボランティアの数が減少していると言われました。昔と違い大学生も忙しくなり、そもそもの大学生の総数が減ってきていることが要因ではないかと言われていましたが現在はシニアのボランティア参加者が多いそうです。今後日本は災害発生回数が多くなってくるとの予測がされています。従って災害ボランティアの必要性は増してきます。だからこそ経験・技術の継承が重要になってきます。また、現地の人も若い人が来ると安心し、よくお話をされるそうです。このような点から藤室さんの団体の活動はとても意味があると思います。
被災地支援は災害発生直後大きく取り上げられます。しかし、その後の活動はあまり知られていません。私も今回の報告会・インタビューと通して活動内容、継続的な支援の大切さを知りました。被災地の人が今どのようなことを求めているのか、声を「聴く」ということが今後一番重要だと考えます。災害は町だけではなく、人とのつながりも破壊してしまいます。災害ボランティアはその破壊されたつながりを結びつける接着剤のような役目を果たしているのではないかと思います。
この日は、たまたま4人の子どもたち全員がネパール出身でしたが、インターナショナル セワ ソサエティーさんでは、日本語支援教室も行っており、ネパール人以外の子どもも受け付けているそうです。
以前は、固定の事務所がなく、様々な場所を借り、様々な場所で活動を行っていました。しかし、「子どもたちが、いつでも帰ってくることができる場所を作りたい。」という思いから、固定の事務所を持つことにしたそうです。
この日参加した4人の子どもたちが、この事務所に来るのは初めてだったようで、スタッフさんたちがお昼ご飯を振舞っていました。アットホームな温かい雰囲気で、とても楽しそうに話す子どもたちやスタッフさんの様子を見ていると、こちらも自然と笑顔があふれていました。
昼食を終え、数学の授業が始まりました。授業は、ニュアンスを伝えるために英語や日本語を織り交ぜている場面もありましたが、基本的にネパール語で進められていました。学校の授業は、日本語で進められます。子どもたちは学校での授業内容を理解したつもりでいるが、本当に理解はしていない、とプリタムさんは言います。本当の意味での理解をしてもらうために、あえて母語で授業は進めるのだそうです。
塾や予備校のような熱量で話すプリタムさんと、目の前の問題に懸命に取り組む子ども達。同じ課題に取り組んだり、それぞれ違う課題に取り組んだりと、それぞれに合った形で勉強に励んでいることが分かりました。
授業が終わり解散の時間が近づくと、子どもたちは「まだここにいたい。」とこぼしていました。
そんな子どもたちに、インターナショナル セワ ソサエティーのいいところを尋ねると、「楽しい。わからないことを先生が教えてくれる。」「学校のテストでいい点がとれた。」「みんな友達。」などと、少し恥ずかしそうに答えてくれました。
代表のラマ ゴレ プリタムさんは、現在の変化していく社会で子供たちが母文化も好きでいつつ、日本の文化の良いところも受け入れていってほしい、と言います。母語や母文化を忘れないことで、子どもたちが自分のルーツを知り、自分に自信を持って生きてほしい。来日後、何もわからなくて、「自分にはなにもできない、だめだ。」と、一度自信をなくしてしまったことのあるプリタムさんだからこそ、そのような強い思いがあるのだろうなあと感じます。
子どもたちが普段通っている学校では、子どもたちの周囲は日本人ばかりです。そして、その周りの日本人は、子どもたちから見ると、「自分よりも日本語ができて、勉強ができる子」です。だから、自分が分からないと思った問題を、「わからない」と学校の先生に自信を持って質問することができません。インターナショナル セワ ソサエティーという場所は、子どもたちにとって、勉強する場であると同時に、生き生きとした本当の自分を出すことができる場所なのだろうと思います。
プリタムさんは、「まだまだ力不足です。」という言葉を何度も口にしていました。3年後、子どもたちだけでなく、子どもたちの保護者を巻き込んだ自助コミュニティーシステムを作りたいと話します。子どもたちと向き合い、近くで関わっているからこそ、プリタムさんの中には、たくさんの課題が見えているのだと感じました。
「今いる子どもたちが、将来人を助けるような人間になればなあ。」
インターナショナル セワ ソサエティーというあたたかい環境の中で、子どもたちはきっとプリタムさんが願う人物になるだろうと思います。
活動は家賃や光熱水費、パソコンの諸経費などが必要です。ここを福祉事業所にすれば収入につながりますが、福祉の制度外でフラットな関係性を保ちながら自由に活動することを大切にしようと頑張っています。
当事者がいつでも集える拠点を神戸に定着させたいという強い思いが伝わってくる訪問でした。
発表を聞いて印象に残ったのは「納得のいく選択」をすること。他者の最善と自分の最善は違うのだから、医師が決めたことであっても自分のやりたいことを優先していい。納得した選択なら後悔がなく、他人のせいにしないで前へ進めます。また、家族は近しいからこそ互いに立ち入れないもの。心配されると重荷だしアドバイスもいらない。でも気持ちは理解してほしい。患者の心は大きく揺れ、それは家族も同じです。
後半は丸く座って交流会。一人ひとり自己紹介をかねて現在の状況などを自由に語ります。初めて来られた人もまるで前からの知り合いのようで、一緒に泣いたり笑ったり。
この会の特徴は、さまざまな立場の人たちが参加していることです。みなさん「こんな会は他にはない」と繰り返し言われます。元気づけない、頑張れと言わない。自然体でいられるからこそ心おきなくなんでも話せる。それがゆずりはのよいところです。
代表の宮本直治さんは、がんになればその後の人生をどう生きるかに向き合わなくてはいけなくなる。でも医療は生き方までは教えてくれない。生き方はその人自身が決めるものだからです。だからゆずりはは何かをしてあげるところではない、と話されます。人は同じ立場には立てませんが、支え合うことができます。体験談が誰かの支えになれば広い意味で社会貢献になります。するとそれが患者の生きがいになって戻ってきます。会は終始和やかで涙はあっても明るい雰囲気でした。
人生をどう生きるかを考えることは、がんであってもなくても大事なことです。この問いに答えを求めるとき、ゆずりはのような場があることはとても心強いと思いました。